松月乗船場

川下りの出発

船は「松月乗船場(しょうげつじょうせんじょう)」から出発いたします。
松月乗船場は、柳川藩親・立花宗茂公、夫人・誾千代姫および岳父・戸次道雪の三神を祀った三柱神社(みはしらじんじゃ)の中にあり、三階建ての建物は明治中期に建てられ、詩集「思ひで」にもうたわれた北原白秋ゆかりの建物です。船はここからゆっくりと出発いたします。

鋤崎土居

鋤崎土居

柳並木が残る土居は、旧藩時代の外城の土塁跡です。
北原白秋の詩碑があります。「色にして老木の柳うちしだる 我が柳河の水の豊けさ」

柳川城堀水門

柳川城堀水門

城の防御用に築造されたもので、城内に入る唯一の水門です。
万一の場合にはこの水門を閉め、上流の堤防を切り崩して水を流すと、柳川城周辺を残して周囲は水浸しになる壮大な仕掛けの水門です。

汲水場

汲水場

昭和初期まではここで飲み水を汲んだり、米をといだり、船の荷物の積みおろしをする場所でもありました。また、川を挟んで向い岸に庭がある「離れ庭」もあります。水中歌碑が当時の情景を映し出しています。
「ついかがむ乙の女童影揺れて まだ寝起きらし朝の汲水場に」北原白秋

あめんぼセンター(柳川市立図書館)

あめんぼセンター(柳川市立図書館)

図書館を核とした複合文化施設として、水の資料館・展示ギャラリー・会議室等があり、柳川の自然や水の文化を学び、人々のコミュニケーションの輪を広げる施設として利用されています。

柳城橋

柳城橋

川下りコース上にある、13橋あるうちの5番目の橋です。橋桁と水面が近い橋です。

並倉

並倉

明治後期に建てられた柳川特産の味噌、醤油の製造工場です。前方にぬけると外堀コースで、西に折れると内堀コースです。

袋小路

袋小路

迷路のように道路が入り組んで、昔は防御上の小路でした。水上から見ると両側に木が生茂りまるで「緑のトンネル」のようです。右側は日本の道百選にも選ばれた遊歩道が続いており、始まりには北原白秋の高弟・宮柊二の歌碑と北原白秋の歌碑があります。
「往還に白き埃の立ちながれ あな恋ほしかも白秋先生」宮柊二 「水の街 棹さし来れば 夕雲や 鳰の浮巣のささ啼きのこえ」北原白秋

日吉神社

日吉神社

1290年近江国坂本の日吉神社の分霊を移して鎮守としたと伝えられています。柳川藩歴代の城主もこの神社を崇敬し、1699年四代藩主・立花鑑虎公の時に社殿を再興したのが現在の社で、その後歴代藩主の信仰が厚く栄えてきて現在に至ります。

田中吉政公銅像

田中吉政公銅像

関ヶ原の合戦の功績により三十三万石を与えられ柳川城を居城とした。
干拓事業・道路網の整備・天守閣の改築・河川や掘割の整備を行い、現在残る掘割の基礎を築きました。

弥兵衛門橋(やへえもんばし)

弥兵衛門橋(やへえもんばし)

柳川城郭の橋としては一番狭く古い橋で、慶長十年にかけられたものです。
柳川城の三の丸に入る北の門の橋で、流力をつける為に狭く水門の働きも兼ねています。

蜘蛛手棚

蜘蛛手棚

蜘蛛手網は魚を獲るための網で、網を水の中に入れて魚を獲る仕組みです。有明海沿岸で多くの蜘蛛手網を見ることができます。

十時氏邸(武家屋敷)

十時氏邸(武家屋敷)

武家屋敷跡で、建物の中は敵が攻めにくいように多くの仕掛けが施してあります。

まちぼうけの碑

まちぼうけの碑

白秋の歌で知られる「まちぼうけ」の碑は十時邸の目の前にあります。

白秋道路

白秋道路

北原白秋が藩校伝習館中学への通学路としていた道で、現在では白秋道路から続く道が川下りコース沿いの遊歩道として整備されており、昭和61年「日本の道百選」にも選ばれました。

御花

御花

元文三年柳川藩五代藩主立花貞俶は、柳川城の南西隅にあたる、当時御花畠と呼ばれていた地に別邸を築きました。森と池は当時のまま残されており、現在の建物および庭園は、明治後期に大改修され現在は料亭旅館・資料館があります。平成23年、敷地全体(約7,000坪)が「国指定名勝 立花氏庭園」として追加指定されました。

殿の倉(立花家史料館)

殿の倉(立花家史料館)

御花の屋敷を回るとナマコ壁の殿の倉があります。北原白秋が晩年帰郷の折、土蔵の白壁を見て詠んだ歌碑「水影の碑」があります。
「我ついに還り来にけり倉下や 揺るる水照穏に焼けつつ」北原白秋

沖端下船場(民芸茶屋六騎前)

沖端下船場(民芸茶屋六騎前)

ここが川下りの終点地です。水路を挟んで両岸に柳が揺れ、奥には水の神様を祭った沖端水天宮があり昔の雰囲気が残る場所です。北原白秋の生家は徒歩5分のところにあります。